【カイロ発】外国人ジャ-ナリスト受難
山刀と棍棒で武装する「ムバラク支持派」の男性たち。(3日、エジプト考古学博物館北側の地区で。写真:筆者撮影) タフリール広場とその周辺はジャーナリストにとって惨たんたる状況となっている。3日、外国人ジャーナリスト数十人が軍に身柄を拘束され、多数が群衆に棍棒で殴られるなどして負傷した。...
View Article【カイロ発】ムバラク去るまでタハリール広場の地響きは続く
「ムバラク打倒派」の青年。この頃までは「戦車と兵士込み」で撮影しても拘束されたりはしなかった。(3日、タハリール広場。写真:筆者撮影) アラブ世界はもとより国際社会を揺るがすタハリール広場の集会は12日目に入った。ムバラク大統領は次々と条件を繰り出し仲々政権の座を去ろうとしない。...
View Article【カイロ発】アナログ親父も「フェイスブック」
ムハマードさんは蜂起初日の先月25日から家に帰っていない。(6日、タハリール広場。写真:筆者撮影) 「反ムバラク政権」コールが耳をつんざくタハリール広場の真ん中に『エジプトの青年有難う。フェイスブック』と書いたプラカードを持つオジサンがいた(写真上段)。ムハマードさん(50歳)。フェイスブックもメールもやらない。日本にもいる典型的なアナログ親父だ。...
View Article【カイロ発】「誰も新聞・テレビを信じちゃいない」
メディア不信を外国人に訴えるプラカード。新聞・テレビへの強い疑念も市民革命の背景にある。(8日、タハリール広場。写真:筆者撮影) 外国人記者が出入りするタハリール広場の南入り口付近でギョッとするプラカードを目にした。「Egyptian Press Deceiving Us=エジプトのプレスは我々を騙している」。英語で書いているのは外国人記者を通じて国際社会にアピールするためだろう。...
View Article【カイロ発】仕事終え、タハリール広場へ
市民革命のエネルギーが弾ける。筆者が投宿するホテルは前方の奥にあるのだが、人で埋め尽くされているため大きく迂回しなくては戻れなかった。(8日午後、タハリール広場。写真:筆者撮影)。 筆者が投宿するホテルはタハリール広場から南へ約1キロの所にある。午後ともなれば広場に入ろうとする人々が長蛇の列をなし、最後尾はホテルの前に届く。...
View Article【カイロ発】「ここ数日でエジプトの将来が決まる」
広場南入口は阿波踊りを思わせるノリに包まれる。「打倒ムバラク派」の歓迎に踊りだす市民も珍しくない。(9日、タハリール広場。写真:筆者撮影)...
View Article【カイロ発】反ムバラク派、国営放送に突入図る
反ムバラク派のデモ隊は国営放送の玄関前まで突進した。戦車が張り付き、2階バルコニーには兵士が銃を持って構えているのが見える。(11日、カイロ市内国営放送前。写真:筆者撮影) ムバラク大統領が引続きの最高権力者の座に留まることを表明したため「反ムバラク派」の怒りは収まらない。「続投表明」翌日の11日、反ムバラク派は「エジプト国営放送」に突入をはかった。...
View Article【カイロ発】ネットで蜂起、市民革命勝利
ムバラク大統領が結局は辞任を否定した前夜と違い人々の喜びの声は力強かった。(11日夜、タハリール広場。写真:筆者撮影) 11日午後6時、スレイマン副大統領がムバラク大統領のステップダウンを正式に発表すると、タハリール広場は大きな爆発音のような歓喜が沸き起こった。半信半疑だった昨夜と違って人々の喜びの声は力強かった。...
View Article今明かす「紛争地域取材術」 ~その1~
『反ムバラク派』の市民による検問。「ヤパン、ケンチャ(=日本人ジャーナリスト)」と言ってパスポートを提示し、チェックポイントを通過する毎日だった。(写真:筆者撮影)。 筆者は生来悪運の強いタチなのだが、運だけでは紛争地域で降りかかる災厄を潜り抜けることはできない。戦争状態や革命の最中であったりして治安が機能していないからだ。警察そのものが市民や外国人に対して「悪さ」を働くのも紛争地域の特徴である。...
View Article今明かす「紛争地域取材術」~その2~
タハリール広場の北側地区。ムバラク支持派の住民が多い。外国人ジャーナリストの多くはここでボコボコにされたり軍に突き出されたりした。(カイロ市内。写真:筆者撮影)。 【取材の成否はコーディネーターで決まる】 知らない地で取材するには案内役が必要だ。あそこに行けばこんな光景があり、その話はあの人に聞くと分かる。こうしたアレンジをしてくれるのが現地コーディネーターだ。...
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山刀と棍棒で武装する「ムバラク支持派」の男性たち。(3日、エジプト考古学博物館北側の地区で。写真:筆者撮影) タフリール広場とその周辺はジャーナリストにとって惨たんたる状況となっている。3日、外国人ジャーナリスト数十人が軍に身柄を拘束され、多数が群衆に棍棒で殴られるなどして負傷した。...
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「ムバラク打倒派」の青年。この頃までは「戦車と兵士込み」で撮影しても拘束されたりはしなかった。(3日、タハリール広場。写真:筆者撮影) アラブ世界はもとより国際社会を揺るがすタハリール広場の集会は12日目に入った。ムバラク大統領は次々と条件を繰り出し仲々政権の座を去ろうとしない。...
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ムハマードさんは蜂起初日の先月25日から家に帰っていない。(6日、タハリール広場。写真:筆者撮影) 「反ムバラク政権」コールが耳をつんざくタハリール広場の真ん中に『エジプトの青年有難う。フェイスブック』と書いたプラカードを持つオジサンがいた(写真上段)。ムハマードさん(50歳)。フェイスブックもメールもやらない。日本にもいる典型的なアナログ親父だ。...
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メディア不信を外国人に訴えるプラカード。新聞・テレビへの強い疑念も市民革命の背景にある。(8日、タハリール広場。写真:筆者撮影) 外国人記者が出入りするタハリール広場の南入り口付近でギョッとするプラカードを目にした。「Egyptian Press Deceiving Us=エジプトのプレスは我々を騙している」。英語で書いているのは外国人記者を通じて国際社会にアピールするためだろう。...
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市民革命のエネルギーが弾ける。筆者が投宿するホテルは前方の奥にあるのだが、人で埋め尽くされているため大きく迂回しなくては戻れなかった。(8日午後、タハリール広場。写真:筆者撮影)。 筆者が投宿するホテルはタハリール広場から南へ約1キロの所にある。午後ともなれば広場に入ろうとする人々が長蛇の列をなし、最後尾はホテルの前に届く。...
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広場南入口は阿波踊りを思わせるノリに包まれる。「打倒ムバラク派」の歓迎に踊りだす市民も珍しくない。(9日、タハリール広場。写真:筆者撮影)...
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反ムバラク派のデモ隊は国営放送の玄関前まで突進した。戦車が張り付き、2階バルコニーには兵士が銃を持って構えているのが見える。(11日、カイロ市内国営放送前。写真:筆者撮影) ムバラク大統領が引続きの最高権力者の座に留まることを表明したため「反ムバラク派」の怒りは収まらない。「続投表明」翌日の11日、反ムバラク派は「エジプト国営放送」に突入をはかった。...
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ムバラク大統領が結局は辞任を否定した前夜と違い人々の喜びの声は力強かった。(11日夜、タハリール広場。写真:筆者撮影) 11日午後6時、スレイマン副大統領がムバラク大統領のステップダウンを正式に発表すると、タハリール広場は大きな爆発音のような歓喜が沸き起こった。半信半疑だった昨夜と違って人々の喜びの声は力強かった。...
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『反ムバラク派』の市民による検問。「ヤパン、ケンチャ(=日本人ジャーナリスト)」と言ってパスポートを提示し、チェックポイントを通過する毎日だった。(写真:筆者撮影)。 筆者は生来悪運の強いタチなのだが、運だけでは紛争地域で降りかかる災厄を潜り抜けることはできない。戦争状態や革命の最中であったりして治安が機能していないからだ。警察そのものが市民や外国人に対して「悪さ」を働くのも紛争地域の特徴である。...
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タハリール広場の北側地区。ムバラク支持派の住民が多い。外国人ジャーナリストの多くはここでボコボコにされたり軍に突き出されたりした。(カイロ市内。写真:筆者撮影)。 【取材の成否はコーディネーターで決まる】 知らない地で取材するには案内役が必要だ。あそこに行けばこんな光景があり、その話はあの人に聞くと分かる。こうしたアレンジをしてくれるのが現地コーディネーターだ。...
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